自分と自身と自信と死。

 

自分が、自身をもって、

生きられたらいいなぁと思う。

 

 

ただ、自身を持つためには、

自信がないとむずかしい。

 

自信はどこからやってくるのかな。

 

成功体験?

失敗体験?

 

どちらも正解なのかもしれないし、

どちらも間違いなのかもしれない。

 

 

正直、僕はよくわからないけど、

 

成功には、死にそうになるくらいの

エネルギーを欠かせないし、

 

失敗には、死にたくなるくらいの

エネルギーを失ってしまうし、

 

「死」に瀕するような体験ほど

自分に返ってくるような気がする。

 

 

そんな経験の積み重ねを通じて、

自分を強く信じることができる。

 

 

そんな説明しにくい感覚で

身を包むことができたら、

僕は僕になるのだろうか。

 

 

死を覚悟して毎日を生きていた

武士や特攻部隊は辛かっただろう。

 

でも、きっと僕みたいに

弱虫なんかじゃなかっただろうし、

人にも優しく接しられていただろうし、

自分をもって、生きていたんだろう。

 

 

そんなことを、ふと思った。

 

 

自分と自身と自信と死。美味しいコンセプト

「会社辞めたい相談室」オープン!

 

 

 

もうすぐ春ですね。

 

Facebookでは花見イベントの招待が嵐のようにやってきました。春というのは、不思議なもので、気分を新たにしてくれたり、どこか背中を押したりしてくれたり、なんとなく前向きな感じがします。

 

実際に、新たに動き始める人・動き始めたい人は増えているのでしょうか。人と雑談していると「最近ほんと、周りで会社辞める人多いよね」とか「ノマドライフスタイルを始めます」とか、そしてその延長線上で必ず「にしても、やっぱり君の辞めましたブログがサラリーマンを煽ったよね」とか「フリーランスへの流れを象徴してたよね」とか言われたりします。

 

もちろん自分が感じる違和感は大切にしていて、閉塞的・固定的な生き方のイメージを切り拓いていきたいと、“トーキョーよるヒルズ”や“21世紀の生き方”などをやったり、自分自身も実験的な働き方に挑戦しています。でも、あのエントリはもう単なる過去の日記でしかなく、過去の思考記録として置いてきたつもりでした。だってもう半年以上前の話です。

 

しかし、春が近づいているからなのかなんなのか。上記の会話のように、最近また、辞めましたブログのことを引用される機会が増えたり、よるヒルズもスモールムーブメントを創りだすってことより企業への就職や社員として働くことに悩みを感じてメッセージしてくる人が増えているように感じます。あと、そういうブログもたまに見ますね。

 

基本的に何かに挑戦することは全面的に賛成ですが、会社を辞めることに焦点当たりすぎている様子をみると(僕には関係ないといえばそうなのですが、なんだか雰囲気づくりに貢献した感覚も無いことはなく…)、もやもやと違和感を感じます。

 

 

もちろん場所や状況によって表現の仕方が変わることはありますが、改めて言っておくと、僕は大企業で働くことに絶対反対というわけでは無いですし、フリーランス・起業万歳って感じではないです。僕は向いてなかったし、強みを発揮するポイントがずれていると感じたから辞めましたけど。

 

少なくとも大企業に就職して経験的に良かったと思っています。また、フリーランスやベンチャー経営もたまたま環境的な運に恵まれ、先輩や仲間に助けられながら、なんとかやっていますが、結構しんどいことも多いです。地元に帰ると、もはや理解されず怪しい目で見られます。

 

(まだ辞めて7ヶ月くらいだけど)経験して初めて見えてくることは多いし、何かに焦っていると安定した部分というのは見逃しやすいし、そもそも同じような感覚を共有した上で客観的に相談できる人や機会があまり無いというのがありますが。

 

僕はとても運が良かったから、今を悔しい思いや自分の弱さを痛感しながらもなんとか楽しめているけれど、盲目的に会社を辞めてしまうと、よく言われる80年代後半にリクルートがフリーターという言葉とともに大量生産してしまった希望難民が、また生まれてしまう危険性も感じていて。

 

何を言いたいかと言うと、閉塞感が漂う時代だから僕はこれからも未来を向いて色々と実験していきたいと思うけど、一方でケア的な発想も必要なんじゃないかと思い始めたってことです。

 

でもそんなこと言うだけじゃ意味が無いので、

 

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「会社を辞めたいと思っている人のためのSkype相談室」

 

略して「会社辞めたい相談室」の受付 (笑) を、google docs上に仮オープンします。

※  僕の時間の関係で、1日1人24時〜(1時間)とします。
※  本日からの応募制で、4月1日相談開始にします。
※  僕と同世代、いわゆる若手社会人を主な対象としています。

 

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もちろん僕がどこまで有意義な相談相手になれるか分かりませんが、自分の経験や知り合いのネットワークなどを生かして、焦りではない1ミリでも有意義な選択に貢献できたらと思っています。実際、僕が辞めるときも感覚を共有しながら客観的な視点で相談に乗ってもらう機会ってほぼ無かったですし、僕らから見ていわゆる“キャリアカウンセラー”とか絶対的になんか違うし。笑 まぁうだうだ言っていても何も良い方向に動かないですし、ある種の予防的なセーフティーネットとして、こういう動きが広がっていったらいいなぁっていうのもあるので、まずやってみます。

 

会社辞めたい、辞めようかな、何か違う、動き出さないと、そんな温度感で迷っている人や相談したい人は、抱え込んで欝になったり、勢いで辞めちゃったりする前に、この相談室へ応募してみてください。※既に辞めてしまったけど、どうしようか迷っている方もご相談可能です。

 

会社辞めたい相談室

 

 

 

「会社辞めたい相談室」オープン!美味しいコンセプト

僕たちはその言葉を食べたがっている。

 

たまたま、ジャスティン ビーバーの人生を描いた「NEVER SAY NEVER」という映画を観た。 ストーリーは、1人の少年が、無邪気ながらもその才能を認められ、周りの人に応援/支援され、スターダムへの階段を昇っていき、最終的にアーティストにとって夢のステージであるマディソンスクエアで、プロとして最高のパフォーマンスを成し遂げるというもの。

 

 

 

概要や雰囲気は、Google ChromeのCMを見てもらえれば分かると思う。

YouTube Preview Image

 

 

 

もちろん彼の歌やダンスも素晴らしいが、気になったのはむしろファンのほう。

なんて言うか、“熱狂”しているのだ。

アイドル的な存在なんだと思うけど、ファンたちが涙を流す様子を見ると、どうやらルックスだけではなさそう。

 

 

むしろ、そのキャラクターがもつメッセージ性。

 

核の部分は、この映画のタイトルでもある、『NEVAR SAY NEVER』という言葉にあると思う。


それは、カナダの田舎にある、平凡な家で生まれた少年が、純粋に前に向かって走り続け、Youtubeをはじめとしたソーシャルメディアでのつながりとともに、超一流のアーティストへと成長していった、そのリアリティ。

そのキャラクターが歌詞に乗って、大人達には奇妙に映るほどの、ファンの熱狂をつくりあげている。

 

 

 

そして僕は、ライブ映像を観ている途中、ふとオバマ大統領の演説を思い出した。

 

彼の、コミュニケーションの核の1つは、『YES WE CAN!』だった。

 

『NAVER SAY NAVER』と同じだ。

 

ソーシャルメディアをうまく使って、支持者たちとともにビジョンを育んできた部分も似ている。そして、異常なまでのコミットメントと、メッセージへの熱狂。彼にも、そのキャラクターが裏打ちするようなリアリティがあったのだ。

 

 

アメリカ人は、みな自信を失っているんだろう。

先が見えない時代に、不安で仕方がないのだろう。

 

『きっと、できる。』

その言葉を、食べたがっている。

 

日本も、同じ状況にあると思う。

でも、それは『今も一応、幸せだよ』じゃ、違うよね。

未来に向かうことを応援する言葉じゃないと。

 

 

僕らは、前を向いて生きるために、

未来に旗を立て、心を支える言葉を創りださなければならない。

 

誰もあまり口には出さないが、お腹はグーグーなっている。

 

 

 

僕たちはその言葉を食べたがっている。美味しいコンセプト

田原総一朗さんと我が家のコタツで議論した件。

 

3月5日(月) 19時より、僕がプロデューサーを務めている『21世紀の生き方』第2弾 をUst放送しました。今回もかなり多くの方々に見ていただき、大盛況でした。あ、実は今回、僕も出演しました。

 

『田原総一朗77歳×80年代生まれの若者4人の真剣対談』

告知ページ:http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31938

アーカイブ:http://www.ustream.tv/recorded/20899261

※後日、文字起こしが、「現代ビジネス」にて記事としてアップされます。

 

今回は、我が家であるトーキョーよるヒルズに大物ジャーナリスト、田原総一朗さん佐々木俊尚さんをお招きし、世代を大きく超えて、これからの生き方を議論しました。

対談はいつも通り、ほとんど事前打ち合わせ無しのぶっつけ本番。一体どうなるもんかと正直ヒヤヒヤしましたが、佐々木さんの神がかった議論のモデレートや、田原さんの驚くほどの柔軟性によって(たまに鋭いツッコミがあったけどw)“これからの個人としての生き方”と“社会の在り方”が重なるカタチで人々の中にある既存の生き方のイメージを少しだけでも書き換えられたのではないかと思っています。少なくとも、先日の『朝まで生テレビ』や『ニッポンのジレンマ』よりも大きな視野を見据えた具体論が展開できたとは、個人的には感じています。

 

一点だけ、モヤモヤを残してしまったところがあるとすれば、議論終盤での田原さんの鋭い突っ込み発言。

 

 

「ここにいる人たちは強者のくせに、弱者のふりをしている」と。

 

 

確かにそう見えるだろうし、見る角度によっては間違いない。それは否定しない。それでも、ちゃんと言っておきたかったのは、「ふりなんかじゃなくて、この時代における僕らの真剣な戦い方だ」ということ。

 

少し遠回りな伝え方になるけど、例えば、BOPビジネスってものがある。いわゆる、新興国で生活する貧困層を対象にしたビジネスです。それだって、情けや見せかけのためにやっていると考えるのは間違いだと思う。もちろんモチベーションとして、社会的目的との一致というのはあるだろうけど。

いまや先進国ではモノや情報が溢れ、これまで通りでは市場そのものが年々縮小し、繁栄を極めた大企業でさえ、衰退を一途を辿っていくこれからにおいて、そのフィールドでの挑戦こそが、(他国と比べて)これだけの高給料をもらうことを価値として正当なものとし、かつ勝負できるってことを信じているんだと思う。

 

BOP分野でよく言われる”リバース・イノベーション”ってコンセプトがあるけれど、感覚的には、これに近いものがあると思っています。”リバース・イノベーション”とは、ざっくり言うならば、グローバル企業が先進国の基準でモノをつくるのではなく、新興国をベースとして製品や技術を開発して、のちに先進国にもその製品と技術を展開するとのこと。

ほとんどの大企業は、マインドシフトに対応できず、勇気をもって舵を切れない。まさしく、今ですね。まだギリギリなんとか成立してはいるかもしれない。

 

僕らは、これから社会が抱えるであろう問題や広がっていくであろう未来の姿を、フィールドとして、自分たちなりに仮説を立てて価値を生み出そうとしている。なかなかお金にはならないし、それが弱者に寄っているように見えるかもだけど。

 

議論の半ば、ソーシャルビジネスは経済発展を生み出すかどうか議論があったが、(ビジネスなんて本来そうだろうってことで、言葉自体はどうでもいいのだが)それは「ニッチだけど切実なニーズに優しく応える」と捉えるか、「新たな領域をベースに市場を切り拓く」と捉えるかで、広がる世界は全然違う。

少なくとも、僕の発想は後者。一人の人間としても、アウトプットとしても。もちろん、まだ実例として示せていないし、THE 正しいとも思っていない。でもそうやって、既存の大きな文脈とは違う文脈を切り拓かなければ、求めているような自由さも無い世界を、生きていくことになってしまうだろう。

 

例えば、大きく言ってしまえば、シェアハウスって形かどうかは分からないが、物理的には近いのに、生活感としては分断されてしまっている東京のような都市(ニューヨークだけではなく、きっとBRICsも主要都市も)において、ソフトを書き換えて、コミュニティをつくるという属人的なスキルこそが僕にとっては、価値を生み出す武器になる。それだけをなんとなく、大事な点として感じているのです。

 

だから僕はふりなんてしていないし、そもそもそんな”いい子ちゃん”ではない。自分なりにサバイバルしている。それだけなんです。(もちろんシェアハウスは純粋に楽しいんですけどね)それをちゃんと、切り返して伝えるべきだったなぁと、少し悔やんでいます。まぁでもこういうのはいつものことだから、これも経験として、次回の何かの機会に対して、改善点として脳みそに入れておこうと思う。

 

ただ今回は何よりも、シェアハウスと言えどまさか“自分の家に、あの田原総一郎さんが来て、コタツで対談する。知らない何千人もが、その中継を見る。”こんな経験、どう考えてもかなりレアで、新鮮だったなぁなんて、数時間前のことのように思い出しながら、僕は次の仕掛けを考えています。

 

 

見てくださった方、どうもありがとうございました。

第3弾は、4月の予定です。どうぞ、楽しみに。

田原総一朗さんと我が家のコタツで議論した件。美味しいコンセプト

よるヒルズHP公開にあたって、想いを言葉にした。

 

 

 

 

 

2011年6月11日に住み始めて、つまり8ヶ月経ってようやく、

トーキョーよるヒルズのホームページ的なものができました。

(いや正確に言うと、ティーザーが公開されましたw)

 

いやーなんか、嬉しいですね。

初めてGoogleアカウントを取ったときくらい嬉しい。

あれ?伝わんない?まぁいいや。

 

 

今回、サイトデザイン&構築をしてくれたのは、

田中美子 × 古屋悠のクリエイティブユニット「ナマケモノ」

かわいいけど、爽やかなテイスト&UIでとても気に入ってます。

今後のことはまだ言えませんが、楽しみに展開を待っててくださいね。

 

あと、今まで紹介の機会がなかったんですが、

お馴染みのよるヒルズのロゴを制作してくれたのは、

武蔵野美術大学の岡田ようこちゃん

僕の無茶ぶりなディレクションに応えてくれる優秀なデザイナーです。

 

 

そして改めて、思ったんですが、

 

 

トーキョーよるヒルズって、家の形式はとっているけど、

ほんと様々な人生背景と才能をもった、多くの人たちとともに

夜な夜な何かを企む場、つくる場、発信する場になっているし、

コミュニティーとしてもつくられているんだなーって。

 

 

世間的な決まりごとがあるわけでも、

既存の関係上でしか成り立たないわけでもなくて、

シンプルにこういうあり方やライフスタイルを楽しんでいる、

1つのコミュニティーだなーって。

 

 

なんだか閉塞感がいっぱいで、どこか価値観を確かめたくて、

自由に考えることさえも、むつかしくなっている今だからこそ

よるヒルズ的な「それもありだよね、一緒にやろうよ」っていう

心持ちは、毎日の生活を楽しくしてくれるヒントだと思う。

 

 

 

ということで、HP公開(ティーザーだけど)に伴い、

よるヒルズのステートメントを書き綴りました。

 

 

あとは、画像でご覧ください。それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よるヒルズHP公開にあたって、想いを言葉にした。美味しいコンセプト

4ヶ月間もブログ書けなかったけど、オムライスも食べたし、また書き始めます。

 


「ブログを読んでます」

 

そう言われる度に、申し訳ない気持ちがありました。

 

 

気がつけば、もう4ヶ月以上更新してなかったわけですが(それまで書いたのは、たった7エントリだけでしたが笑)ブログを書かなかったのかには理由があります。
正確に言うと、書けなかったんです。

 

このブログを読んでくださっている方はご存知だと思いますが、『博報堂を辞めました』と『たくさんの反響の中で、一番心に刺さったもの』が非常にたくさんの方々に読んでいただいたり、引用していただいたりして、大変な反響をもらったわけです。というか、もらいすぎました。

 

なんて言うか、気持ちよくなっちゃったんですよ笑 いわゆる承認欲求なるものが、僕にもちゃんとあったんですね。

 

気がつけば、新しい人と出会う機会が急に増えて、妙にアドバイス的なことを求められるようになって。集まりにいくと、有名ブロガー的な扱いを受けて、「今度は何をネタにブログ書くんですか?」と聞かれたりして。「いや、僕は自分のハイパー個人的な生き方についてダラダラと書いただけであって、別に他人の人生の指針を示せる経験値ないし……」と違和感をもちながらも、なんていうか反響をもらって、その気持ちよさを知ってしまったし、小さく期待もされてるんだからなんか書かなきゃとか思い始めて……

 

それで僕は調子に乗って、『広告代理店とネットベンチャーはもっと仲良くすればいいのに』なんてエントリを書いたわけです。確かに自分が直に感じて頭で考えたことではあるけど、謎に俯瞰して曰わっているわけです。そのときに、仲良くしていただいているVCの木下先輩に「お前なんかやってんの?(その件に関して、別にコミットしてないやんけ)」とFacebookのメッセージをいただき、「ああ、確かにそうだな」と思いました。その時はうまく誤魔化したと思いますが。

 

そして少し経って「これはアカンな」って思いました。やっぱり、神様目線で正論言うだけなら簡単ですもん。しかも自分のコミットしてないことに関しては、そんなこと書いても「そーだよねー」ってうす~いコミュニケーションで終わっちゃうし。佐々木俊尚さんが言うところの『当事者意識』の欠如ですね。人の心は動かせない。
※もちろん情報を客観的な目線で正論を提言するメディアや人の存在は必要ですから、まぁ役割論の話です。良い悪いとかではなく。

 

というわけで、何を書けばいいか分からなくなり、いったん距離を置いてました。何度か書きたいこともあったんですが。
例えば、車に轢かれたりと災難が続いた11月は、『フリーランスなんてなるんじゃない!』とか笑

 

で、この4ヶ月の間、TRYF Inc.、個人で受けているVISIONING案件(クライアントのブランドステートメントづくりなど)、Living-Project(鋭意製作中)、トーキョーよるヒルズ、『21世紀の生き方』などなど、がむしゃらに、たまに凹んで、そしてきっと良い意味で迷走しながら、自分なりに人生を前に進めてきました。ロールモデルとなる人が居ないから、おそらく非効率なやり方しちゃってますが。

 

そんな中で最近、よるヒルズのことをはじめ、メディアのインタビューを受けたり、イベントでお話させていただく機会が少しずつ増えてきました。自分が体験してきたこと、発見したこと、など内容はそんな大それたものでは無いんですが、それでもいい表情に変わる人もいて。

 

万が一、もし僕にしか見えてない景色があるとして、それを伝えることで、受け手が「そんな道もあったのか」「あいつでもやれんだったら、やってみるか」なんて、次に踏み出す一歩の小さく貢献できたら、僕も色んな人に迷惑かけながらもこうして生きている意味あるなぁって。だったら、自分の『当事者意識』の中で僕なりの経験はシェアしていったほうがいいのかも。と、そんな風に考え出して(これも勘違いの可能性に満ちているんですが笑)なんとなくモヤモヤしていた気持ちがスッキリしたので、またブログ書き始めます。

 

あと告知になりますが、色々とあって2,3月から講談社 現代ビジネス内の『ソーシャライズ』で記事を書くことになりました。ソーシャルネタは僕には書けないので、第一稿から何を書こうか手が止まってますが……  &講談社続きで言うと、前回大反響だった『21世紀の生き方』の第2弾は、2~3月の周辺に、某大物ゲストたちをよるヒルズに呼んで、コタツを囲って徹底討論やりますよー!

 

というわけで、オムライスはあんまり関係していないですが笑 (ちなみに、よるヒルズに泊まった友人が作ってくれました)これからも頑張って、くだらないエントリをたまに書いていくので、やさしくしてください( ´ ▽ ` )ノ

 

4ヶ月間もブログ書けなかったけど、オムライスも食べたし、また書き始めます。美味しいコンセプト

広告代理店とネットベンチャーはもっと仲良くすればいいのに。

 

 

 

僕が、広告代理店やネットベンチャーのことを語るのは、おこがましいと思うし、あんまりこういう提言ブロガーみたいになりたいとは思っていないのであれなんですが、立場的に両方に足を突っ込んでいたりするし、ちょうどいま広告界隈の人が興味深く僕のブログを見てくださっているようなので、このチャンスのうちに自由な論を展開してみようと思ったので、このタイトルで書いてみます。

※以下に論じるものは、全て僕の感覚値からの思考であることを予めご了承ください。

 

 

 

広告代理店のいま

 

世間で語られているように、広告代理店は今さまよっていると思います。

外側に見える部分以上に、内側の意識が混乱している感じ。それは、頑張って整備してきたマスメディアというコミュニケーションの独自の交通網に大きな変化がやってきたから。インターネットという大変不思議な発明が道の外に新しい自由な道を作ってしまったんです。ご存知の通り、代理店のビジネスはメディアコミッションで成り立っています。分かりやすく言えば、人が集まるところの看板(メディア)を買い占めて、それをクライアントに貸し出しして、マージンを差し引くことで儲けています。テレビも新聞も雑誌もラジオもそうです。そういう意味では、インターネットが生まれても、つい最近までは本質的に問題なかった。確かに、色んな新しいことに対応しなくちゃいけなくはなったけど、それでもなんとかなったわけです。だって、バナーやタイアップ記事の管理はこれまでと基本的には同じだから。既存のやり方の延長戦をなんとか続けていたわけです。実際に、広告代理店は危機に瀕しているなどと言われながらも、収益面でも2008年に最高利益を出していたりいます。

 

 

じゃあ、なぜ今さまよっているのか?

それはいわゆるソーシャルメディアが個人に浸透し、コミュニケーションの構造が、場所および時間管理できないものになってしまったからです。具体例を挙げるなら、Twitterやfacebookです。それらのメディアはコントロールできない、もっと言えば今までのメディアとは異なる対応を要求してきたのです。その結果、クライアント(メーカーなど)のコミュニケーションも変化せざるを得なくなった。企業のマーケティング活動の中で、商品単位で、そのキャンペーンも枠組みの中で広告をつくり、コミュニケーションしているだけでは相手にしてもらえないようになり始めた。365日24時間コミュニケーションを楽しむ生活者たちと対話するには、キャンペーン型のマーケティングのコミュニケーションでは対応しきれず、広報・社長自身などがそれに参加することになった。もはや、これまで広告をつくり、世に出す為にお金をもらっていたマーケティング活動の中の広告予算などの範囲を軽々と超えてしまった。お金の流れにおいても、今までの方程式では成立しなくなった。

 

 

これまで自分たちだけが特権的に管理していた情報の交通網を高く売ることで成立していた、マーケティングのパワーも、金銭的豊かさも、ソーシャルという交通網の爆発によって、根幹を揺らされかけている。単発的なコミュニケーションから、長期的なコミュニケーションに人々の心を掴むポイントが変わったけれど、高級な人件費ではそんな泥臭いことなんて成立しない。都合の良い道なんてもはや無い、それが今です。

 

 

広告代理店の資産とは、極論言えば、そのビジネスモデルなわけですが、じゃあ価値がまったくなくなるのかというと、きっとそうではありません。マスメディアとつながっていること、スケールパワーを持っていること、それは間違いなく資産です。(企画力などもありますが、抽象的なので置いておきます)ただ、どのようにコミュニケーションとればいいのか分からなくなった人たちに溢れ始めていることは事実です。感覚値ですが、Twitter, Facebookを理解できている人は半分もおらず、感覚的に使いこなせている人は1%くらいでしょう。まぁウェブは暇人のツールである側面も大きいので、日々忙しい広告代理店社員は使っている暇など無いということもあるかもしれません。でも、コミュニケーションのプロであり続ける為には、避けては通れないわけです。そんな混沌とした状況が今の代理店にはあるというのが僕の認識です。

 

 

 

 

 

ネットベンチャーのいま

 

では、広告代理店の話は一旦置いておいて、次にネットベンチャーの話をします(全てのベンチャーを差しているわけではありません)

いま日本は第4次ベンチャーブームがきています。学生などでも挑戦する人が増え、エンジェル・ベンチャーキャピタル的な存在も増えています。みんな揃って、シリコンバレーに熱狂し、なんかよくわからないけどソーシャルなサービスを作りまくっています。投資側も、Y combinatorという少額投資のシードベンチャーを真似して、広く薄い投資を行っています。別にいい悪いではないけれど、サービスを少ないリソースでつくれる環境や技術が浸透し始めたおかげで、そういう動きがとても活発になっている印象を受けます。

 

 

じゃあ、それらが上手くいっているのか?取り組みや姿勢としては、ベンチャー側も投資家側も素晴らしいと思うけれど、サービスそのものはどうしても浸透しない。お金を積んでもスケールすることも無く、意図とは異なり、そのほとんどが単発的なコミュニケーションに終始している。ソーシャルという混沌とした交通網の中で、小さな活力の中で新しい交通網をつくろうとすると、パワーある情報網はどうしても必要なのです。当分はきっと。それにシリコンバレーの方法論を単にコピーしてきても日本には日本の環境というものがあるわけだから、それも考慮しないと、マーケットには馴染まないまま(ある意味、ニュースにはなるけれど)終了していきます。海外と勝負できるはずなんてない。

 

 

ベンチャーというものの姿勢はとても好きです。だからもっと、いまの日本の環境、欲を言うならば、日本の文化を生かしたサービスや生活への浸透を模索すると面白いと思う。ネットに土壌を移しただけで、経済成長の頃のような消費の早いサイクルをグルグルするばかりでは、なんとも残念だと思うのです。

 

 

 

 

 

広告代理店とネットベンチャーの関係性

 

 

ここでようやく本題です。でも一言で、終わります。

 

 

広告代理店とネットベンチャーは、

もっと仲良くすればいいんじゃないですか。

 

 

 

もうこれだけで僕の言いたいことはほとんど言ってしまっているのですが、せっかく前段を長々と書いたので、補足します。

 

1.広告代理店の今の課題は、生活者ひいてはクライアントのコミュニケーション構造が変わり、それにどのように対応していけば良いのか分からない。感覚的にすら。ということです。一方、ネットベンチャーは別にソーシャルなんとかということではなく、新しいコミュニケーションの文脈の中で生活者との関係をつくろうとしている。感覚的には広告マンに足りないものを持っていると思います。

 

2.ネットベンチャーはマーケットに浸透することが難しい。お金よりも、使ってもらう機会や生活者の創造がなかなかうまくいっていない。ベンチャーキャピタルだけでは解決できない。一方で、広告代理店はメディアとつながりを持ち、大きなクライアントのコミュニケーションを代行します。日本のマーケット文脈に沿って。大企業の広告コミュニケーションは、ネットで語られる数とは桁違いなリーチ&利用機会を持っている。もちろんtoCでは実現しにくい一発大きな収益もtoBでは可能ですし。

 

 

 

つまり、互いに補完関係なのではないか、じゃあ互いに協力してその循環をつくろうよ、ということです。これは何も特別なことではありません。広告代理店は昔から、名の知れないクリエイターやコンテンツを活用することで、コミュニケーションを豊かにし、それによってそのクリエイター・コンテンツも売れる、認められるという循環をつくる機関という社会的役割もあるからです。CMに起用されるアーティストや曲などがそのわかりやすい例ですね。個人商店がメーカーとタイアップで商品を出すのも。

 

 

ところが、広告代理店とネットベンチャーは、どうも互いにリスペクトしていない。広告マンの多くは、「ネットなんて誹謗中傷ばかりでコミュニケーションを乱すもの、実体なんてあるようでないもの」という認識だし、ベンチャーの人は、「広告代理店なんかがあるから、世の中よくならない。既得権益にぶら下がった、生活者をパワーで流行に巻き込もうとする嫌な連中だ」と思っている。(中にはそんな風に見ていない人もたくさんいますが、分かりやすく言えば実際こんなもんだと思います)

 

 

人間みんな自己正当化したいから、反するものや存在を危うくするものには敵意を持ってしまうのもよくわかります。ただ、この両者がうまく協力できたら、日本はどれだけ面白くなるのだろうと思うのです。2000年頃に起きたネットベンチャーブームのときは、電博から多くの広告マンが抜けてベンチャーのスケールに寄与したことは記憶に新しいです。課題が社会性を帯びてきた今は、もっと業界全体で手を組み合うことが必要になってきていると思います。

 

 

具体的に何をすればいいのでしょう。とても簡単なことからでいいと思います。ネットベンチャーが自社サービス・コンテンツを広告代理店にプレゼンテーションしたり、交流したりする機会を積極的に持つ。もちろん、代理店も自ら好意的に誘ったほうがいいと思う。営業部署でも、おっさんでも。結局、広告企画に落ちるには、彼らの理解が必須な訳で。

 

どんな新しいサービスも知ることから始まる。そして使ってみる。お偉いおっさんには丁寧に使い方を教えた方がいいかもしれない。おもしろいものであれば、紹介したくなるし、仕事に生かしたくなるだろう。小さな企業のサービス・メディア・ツールを大きなクライアントの広告プランニングで活用する。そのために広告マンは、頑張ってクライアントを啓蒙する。テレビのときだってそうだったはず。そうやって、マーケットの中に新しいサービスも馴染んでいき、代理店のクリエイターも「海外はプランニングのマーケット環境が整っていていいよなぁ」なんて愚痴を言うのではなく、実際にチャレンジできるようになる。日本でも。ベンチャーのサービスだって、そうやって日本でブラッシュアップされ、シリコンバレーのパクリではないオリジナルな日本プロダクトになるだろう。日本人は厳しい目と繊細な感覚を持った顧客なのだし。

 

 

 

仲良くなる先には、素敵な関係が待っていると僕は思います。

 

広告代理店にもネットベンチャーにも長所短所がある。お互いの偏見とは異なる視点の先に、おもしろい接点が見えてくる。それらをうまくつなぎ合わせ、きっと日本を面白くすることができるはず。理想論かもしれないけど、悪い話じゃないだろう。でも、この架け橋を実現できるパワーを持っている人がいるとすれば、それは一体誰なんだろう。僕には全くもってそのパワーが無いことは自覚しているけれども、そういう人が動き出す、もしくは動き出しているのであれば、ぜひお手伝いしたいなぁと思って、このエントリを書きました。

 

※繰り返しになりますが、上に記したものは全て、広告とベンチャー業界をかじっている僕の感覚値によるものです。

 

広告代理店とネットベンチャーはもっと仲良くすればいいのに。美味しいコンセプト

たくさんの反響の中で、一番心に刺さったもの。

 

 

ちょうど2週間前に書いたエントリ『博報堂を辞めました』は、大変に個人的な内容であったにも関わらず、各所にて大きな反響をいただきました。

 

Twitter,Facebook,はてぶなど、それぞれのメディアにて賛否両論ありましたが、それ自体に対して僕が言うことは特にないです。これからの時代は、価値観も生き方も多様化していくでしょうし、僕は僕が見ている未来を走っていくだけです。

 

ただ、あのブログを読んだ方々の中から100通以上の想いがこもったメールやFacebookメッセージをいただいたことに関しては、なんだか恥ずかしいような、嬉しいような、とても不思議な気分にさせられました。

 

これまで、僕はモノやサービスをつくってアウトプットすることがほとんどでしたので、慣れない「文章」というアウトプットの反響に、自分自身が体験したことない感覚を得る機会をいただいたような気がします。あれだけの長文を丁寧に読み、共感してくださったみなさんに感謝します。

 

なんだかんだでほんとつい数日前まで、何万という多種多様なリアクションをいただいたわけですが、今回のエントリではその中で一番心に刺さったものを紹介したいと思います。

 

 

 

 

それは、母からのメールでした。

 

 

僕がああだ、こうだ言うより、読んでいただいたほうが直接的だと思うので、そのまま全文を掲載します。

 

※ちなみに母が住む僕の実家は富山県の田舎町で、東京のようにネットをチェックする習慣なんて皆無の為、僕のほうから「会社辞めた理由をブログに書いたので、読んでみて」とメールを送りました。

 

 

ーーー  以下、メールからの転載  ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

普段、ほとんど連絡の来ることのない新平が、わざわざ知らせてきたということで、まじめに読みました。以前のブログも見ました。

 

また、tweet数が半端ないことから、驚いて、検索して、ツィッターも目を通しました。

 

いろいろな意見が並んでいましたが、たぶん、これらの意見はすべて、新平にとっては想定内なのだろうと思って見ました(tweet数以外は)。

誰かが言っていた「キャラじゃない」とは思いました。新平のことを直接知らない人には誤解されるんじゃない?

 

また、ツィート中で、母に妙にフィットしたのは、

①「恋愛と結婚の関係に似ている」と②「生き急いでいる」という言葉でした。

 

①会社を辞めた理由について、ブログを読んでいろいろ思いがあったのは解ったのですが、今ひとつ腑に落ちず、違和感がありました。その時ツィートの中で「恋愛と結婚の関係*1」といわれて妙に納得して母の中ではすっきりしました。

 

②「生き急いでいる」という言葉で、新平の小~思春期によく、「やることが3年早いよな」と思ったことを思い出しました。

小1の時に、田保くんに文房具を売って、田保母からクレームがきたこと。ネットオークションに明け暮れていた中学時代。中3の時、友達のドリルを書き写していたこと。中学卒業してすぐの東京旅行。高校の入学説明会で寝ていたこと。高校の運動会の家での前夜祭と昼の登校、卒業式当日の遅刻。

妙に幼いところがある反面、あと3年早いんじゃないかな?といつも思っていました。ようやく年相応になったかと思っていたのですが、やはり3年早いのでしょうか。

 

後先になりましたが、ブログを読んでの感想は、

①文章が上手い、きれいということ。高校までほとんど本など読んだことがないのに、意外でした。

②母が思っていたより、はるかにいろいろ考えているんだなということ。今回の退職については、実は、小さいころからの多動→興味の転導性の延長ではないかと思っていたのですが、そうではなかったのかも。後から理由づけした風にも思えないし。

③自分の中の傲慢さに気付いて反省していることが嬉しかったです。

 

心配なことは、

①ブログがあまりに大勢の人に読まれすぎたこと。人間の思いや考え方は必ず変わるものなのに、新平の考え方が変わったときに方向性を変えるのが難しくなるんじゃないかということです。

②金銭的なこと。お金に興味がないのはそうなのでしょうが、部屋代、食費、いざという時の医療費、その他もろもろ。いまは失業手当をもらっていて何とかなっているのかもしれませんが、この後もずっとトライフから何ももらわないつもりですか?ブログでああ書いちゃうと、無料で仕事してもらえると勘違いされませんか?

③健康のこと。実は一番心配なのですが、「太った」「ふけた」というところがすごく気になりました。病院へ行けないのだから、もっと自分の身体を管理できるようにしてください。

 

その他、会社への迷惑など細かい心配は挙げたらキリがありませんが、タイトルを始めとして、全て意図して書いているだろうということは十分想像できます。

ただ、十分承知していると思いますが、博報堂の名前を出すのは、これで最後にしたほうがよいかもしれませんね。

 

「そんなこといわれなくても解っている」と言われるだろうな、と思いながらも、親ばかでいろいろ書いてしまいました。

 

最後になりましたが、教えてくれてありがとう。

 

 

 

 

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<補足*1> 博報堂を辞めて株式会社エニグモを創業し、共同最高経営責任者をされている田中禎人さんのツイート「自分も博報堂が好きでした。でも、「恋」と「結婚」の違いだと思った。「結婚できる恋」が起業だった。」より。

 

 

 

 

僕は、このメールを読んで、僕は大きな不意打ちを食らいました。

 

 

だって、僕自身よりも、高木新平のことを深く理解し、想っていたから。

親という一番の家族なので、当たり前と言えば、当たり前なのかもしれませんが、本気でコミットしたコミュニケーションは「理解を超えて、愛になる」ことをなんとなく感じました。

 

母からのメールは、僕の人生を改めてストーリーにしてくれました。大きなところで。

 

世間では「物語が大事だ」とか「短期ではなく長期のコミュニケーションが必要」だなんて言われているけれど、コミュニケーションというもののお手本は、「家族」にあるんだなぁと気づかされました。

 

家族論とかは正直よく知りませんが、ここ数年「家族の崩壊」などとメディアでは叫ばれていることは知っています。でも、目に見える住む形態は変わっても、コミュニケーションの関係性としては強くあり続けるコンセプトなんだと思ったんです。

 

 

 

こんなことを言う僕も「トーキョーよるヒルズ」などと言って、友人5人でオープンなシェアハウスをしています。プライベートの個室なんてなく、男4人は1部屋にドミトリーのような寝方をしてますし、住人でメンバーを組み合って一緒に仕事をやったりもしています。

 

そんな中で最近、住人内では互いの存在を「家族」という言い方をするようになってきている。なんだか自然に。「家族会議しよう」とか、「久しぶりに家族みんなで晩ごはんを食べよう」とか。

 

端から見ると、不思議な感覚を得るだろうし、これこそ「家族の崩壊」の最たるものだなんて思われるかもしれません。

 

でも、僕はそんなことだと思っていない。

 

互いのことを心底理解しようと努めて、信頼して、尊敬している関係がそこにはある。血は繋がっていなくても、家族的なコミュニケーションをしているだけなんです。

 

 

 

何を言いたいかというと、僕は前回のエントリで「僕は誰で、誰にコミュニケーションする生き方をしていきたいのか」というようなことを実体験を織り交ぜながら、長々と書き綴ったわけですが、母からのメールを読んで、「家族」とはそれを、一言で言い表した考え方なんじゃないか、とそう思ったんです。

 

 

博報堂が出版している「広告」という雑誌(Vol.386)の中で、情報環境研究者の濱野智史さんは、対談の中で以下のように語っています。

 

『…  僕は「世界ウルルン滞在記」という番組が好きでよく観ていたんですが、「なぜ1週間程度ホームステイしただけで、みんな別れ際にあれだけ泣くのか?」というのがすごく気になっていたんです。… みんなが世界中を移動してウルルン滞在記のようなことをすれば、世界中で家族をシェアしあうようになるから、戦争なんてなくなるんじゃね?とか、変なことを妄想していたことがあります。…  近代社会というのは、「恋愛した後に、結婚して家族を作る」という仕組みになっていましたが、結婚と家族は分離できる可能性はあると思うんです。』

 

また、18世紀の英国の政治家・哲学者であるエドモンド・パークは、著書「フランス革命の省察」の中で以下のように書いてます。

 

『社会の中で自分が属している小さな一画に愛着を持つこと、その小さな一隊を愛することは、公的愛情の第一の動機(言うなれば萌芽)である。それこそ、我々を導いて、祖国愛からひいては人類愛へと進ませる長い連鎖の最初の輪である。』

 

 

 

偏った引用ですし、どこでつながってるの?って感じかもしれません。

でも、これらの思考の周辺に、なんだかこれからの日本、ひいては世界の「幸せ」のヒントがある気がして、またコミュニケーションの本質が見え隠れしているような気がするんです。僕には。

 

高木新平として生きると言うと、サラリーマン的組織に属すること対比すれば、「個」や「フリーランサー」というフレームワードで捉えられがちですが、僕の周りにある「家族」なるものを、大事にして生きていくというほうが感覚的には近いです。

 


いまの世の中の仕組み的に、僕のような人間は会社を辞めるというチョイスせざるを得ないし、そうじゃないところで経済の大半が回って色々と動いているのは事実なんだけど。

 

 

 

 

父から「新しい平和をつくる男になれ」っていう想いとともに、「新平」という素敵な名前をもらってしまったので、僕なりに、そう言うことを見つめていけたらいいなぁって、母からのメールを読んで、そう思いました。

 

 

今日もみんな元気にしてるかなぁ。

 

 

 

 

 

たくさんの反響の中で、一番心に刺さったもの。美味しいコンセプト

博報堂を辞めました。

 

 

このタイトルは、本質的ではありません。

 

なぜなら辞めたことに価値はないし、辞めるというチョイスが先にあったわけではないからです。ただ、一番分かりやすい事実の伝え方であると思ったので、このようにしました。

 

中身としては、辞めた理由を含め、ここ最近の僕の思考をまとめてあります。ただ、偏った個人的意見に基づくものなので、万が一、気分が悪くなったら、×ボタンで閉じてください。

 

 

最初に断っておくと、僕は博報堂が好きです。

その気持ちは今も変わりません。一年目からインタラクティブプランナーという最もホットでエキサイティングな職種、しかも上司に恵まれ、大きな裁量の下で色々と企画・実行させていただき、貴重な時間を経験することができました。どこまで会社にバリューを出せたかはわかりませんが、僕としては本当に感謝しています。心から。

 

 

じゃあ、なぜ辞めたのか。みんなに聞かれます。

それはそうでしょう、エリート街道を自ら飛び降りたのですから。

 

理由を一言で言うのは正直難しいですが、言うとすれば「生きる」ということを僕なりに見つめたいと思ったからです。

 

 

これを説明するのは簡単ではありません。いや、できるかもしれないけど、ちゃんと誤解の無いように、想いが伝わるように、文脈とともに伝えておきたいので、「そもそも」の話から始めたいと思います。

 

 

 

□僕はいったい誰で、誰にコミットしたいのか。

 


僕が人生でちゃんと物事を考え始めるようになったのは、大学の頃からです。大学一年までクソな生活を送っていた僕は、早稲田大学繊維研究会(Sen-i)という場所で、服作りを通じて「デザイン」なるものと出逢いました。

 

 

それは衝撃的な出逢いであり、僕はすぐに魅了されました。

 

『サクラグラスから学ぶ、デザインの姿』でも書きましたが、日常の中に「より豊かな体験をつくる」ために、それを人のどんな行為・インサイトに対して、どのようにカタチにすれば実現するのか。そういうことをひたすらに見つめていました。そこで僕はインタラクティブであることの重要性も学びました。細かいことはここで記しませんが、とにかく最高の時間でした。

 

3年間でかたどられた僕の思想は、デザインという考え方を通じて、どんなワクワクするライフスタイルを生み出せるか、価値として提供できるか、そういうことだと後になって気づくのです。

 

 

ただ一方で、悔しいこともありました。

 

それは、自分たちのコンセプトや取り組みを世の中に知ってもらえなかったことです。伝えることが重要なのではなく、伝わることがまずは重要なんだってことを、身をもって知りました。

 

そういう、まぁ大変に分かりやすいところから、広告業界に興味を持ち始めました。意外かもしれませんが、一ミリも就職を考えてなかった僕は、友達に半ば騙されて連れていかれた合同説明会的なもので、初めて博報堂という企業を知ったのです。大学3年の夏くらいでした。就活をちゃんと始めたのは、最後のファッションショーが終わった12月の頭くらいからでした。

 

それをきっかけにして、僕は運良く博報堂に入社しました。そして運良く、第一志望のインタラクティブプランナーになりました。インタラクティブなコミュニケーションを通じて、大きなスケールの中で、人々のライフスタイルをデザインできると思っていました。具体的には書けないですが、先進的なプロジェクトのディレクションに携わるなど、扱うコミュニケーションの大きさに興奮していました。

 

ただ、その間、世の中はすごい勢いで変化していました。ソーシャルメディアなるものが生活に浸透し、いままでメディアと呼ばれていたものとは性質の異なるメディアが生まれたのです。個の時代の到来です。

 

もちろん僕の下にも、そういうソーシャル系の仕事はたくさん来ました。一番のソーシャルネイティブであったこともあり、バリューを発揮しやすかったので。

ただ、その変化に広告は対応することしかできないことに気づきました。それは当たり前です。あんなにいい給料をもらって、それに見合うスケールでやろうとすると、マーケットの成熟は必要条件だったからです。ちゃんとお金として儲かることでないとダメなんです。数字が重宝される理由です。

 

次第に、僕は違和感を持ち始めました。根本的な変化の中で、表面を追いかけてばかりの業界の思考に。(その中でも博報堂は、本質的なことを見つめようとしている会社だとは思いますが)

 

もっと根っこの部分、価値観や生き方そのものが多様化し始めた、この時代にコントロールや数字を前提としたコミュニケーションなんて、何が楽しいのだろうか。発見よりもリスク無いことが価値なのか?そんな風に感じていました。

 

そのとき、ちょうど博報堂で、とある新規ベンチャープログラムが発足しました。これはチャンスだと確信し、僕は同期である田和と応募しました。内容は、ほんとざっくり言うならば、ちゃんと想いを届けるインフラをつくることで、人の死後=第二の人生をデザインするサービスでした。今後、世の中や生活者にとって必要となるサービスであることは明確でした。だって、あったほうが絶対に素敵な世の中になるのですから。

ありがたいことに審査員だった優秀な先輩方も大変に共感してくださいました。ただ、キャッシュが先に入ってくるビジネスモデルの広告代理店の中では、「いまマーケットが無い=リスクである」という認識で落ちてしまった。最後の最後までは残りましたが。もちろん他の意見などもあるとは思いますが、少なくとも僕の認識はそうでした。

 

僕の中で、代理店ビジネスの限界を感じました。

 

この変化の多い世の中において、生活者の体験ドリヴンなライフスタイルの提案など、代理ビジネスの枠組みの中では、本質的に成立しないのだと思いました。

 

 

ただ、それは僕の思考の浅はかさが原因です。

 

つまり、「ライフスタイルをデザインする」とかカッコいいことを言っていたけど、それを誰に提供するのか、ちゃんと見つめていなかったのです。

 

ちょっと話が複雑になっちゃうかもしれないけど、僕は箭内道彦さんが好きです。理由はシンプルです。素敵だと思ったことを素直にやるから。あの人は、広告は応援だ、だから自分が好きなことしか広告しない。マーケティングなんかしないんだ、とおっしゃられています。なぜなら自分がそのターゲットだからね、って。本質的な姿勢だと思いました。そんな風に考えているから「No music, No life」とか「Photo is」とかを生み出すことができたんでしょう。

 

 

僕のアウトプットの対象のペルソナもきっと、僕です。

じゃないと本当のところが分からないし、想いもシンクロしないから。

 

そう考えた時に「ライフスタイルをデザインする」対象は、きっとマスではなかったのです。むしろ今の自分に近い人々だった。もう一般常識で動くマスを超えて、もっと自分なりの思想を大切にしてマイクロな動きをしながら生きている人。だからリアリティをもって、その新規事業をやりたいと思った。それはきっと「有名人がCMに出て商品が売れる」という短絡的な現象とは程遠いもので、代理店のマーケティングではこぼれてしまうものなのです。

 

目指すべき道を考える時、「何をするのか」「どのようにするのか」を考えることはよくあります。ただ、意外と重要なのは「誰と」そして「誰に」だと思い始めました。なぜなら、それが僕のコミュニケーションの相手だから。「誰と」はよく大事って言われます。ただ、今は誰が発信して、誰が受けるとか境界線が無い時代です。もはや、コミュニケーションという意味では同じ密度なんです。

 

 

だから僕はこの人に共感する、もしくはこの人のことだったら気持ちがわかる、そういう人たちに対して、全力でコミュニケーションしていきたい。双方向に、インタラクティブに。深さで言うと、ライフスタイルのデザイン、さらには人生にコミットできるくらいに。

 

そういう意味で言うと、僕は、いわゆる属性マトリックスできったような顔の見えない何百万人にコミットできるほど、バランスのとれた人間ではなかったということです。大きな海を見渡すよりも、狭くても深い海に飛び込む方が合っていたんです。

 

 

 

□高木新平として、生きるということ。

 

 

とにかくその新規事業失敗は3月でした。そして、休むことなく、日本は3.11というものに出逢ってしまいました。決して、ハッピーな出逢いではなかった。凄まじい出来事でした。

 

僕も何かしなければ、そう思って僕は、協力メンバーとともに「3.11 Memorial」というサイトを作りました。

 

http://www.311memorial.com/

 

 

これは、見てもらうとわかるように、被災して亡くなった人々の人生を残すためのサイトです。当時、ニュースで亡くなった人が数千、数万と数字でしかカウントされない状況にどこか違和感を感じました。新規事業立案で、人の「死」を見つめていたこともあったのだと思いますが、ちゃんとストーリーとして人生を残すことが、残された人々にとっても大切なことなのではないかと思ったのです。多くの人が倒壊した家でアルバムや日記を探してる様子や、北野たけしの言葉をみて、必要なことだと確信しました。

 

 

 

ただ、このサイトをもってGWに東北を訪れると、早すぎることを知りました。まだ仮設住宅にも移っておらず、それどころではない、そんな感じでした。僕は焦りました。なぜなら、東京の関心が急速になくなっていくのを感じていたからです。こういう取り組みは日本全体で矢印を向けないとなかなか難しい。

 

東京に帰って、博報堂内の掲示板で相談を投げかけました。どのようにPRをしていけば、被災者の気持ちに沿うカタチで、世の中の関心を集めて、良い方向にコミュニケ−ションできるかと。

 

明確な答えはいただけることなく(いや当たり前ですが)、まぁさほどみんな関心もないようでした。僕にはPray for Japanのパクリ広告とかを制作することよりもよっぽど大切なことに思えました。しかし最終的に、関心を持たれたのは広報局であり、「会社としてリスクだから、そのサイトを停止するように」と言われてしまいました。

 

何がリスクなのか?役割がリスクの芽をつぶすことだと分かっていながらも、僕には理解不能でした。もちろん、被災者の方々の状況にそぐわないことをするのは違うと思っていたから、一度もツイートさえしていなかった。それに僕は博報堂としてではなく、高木新平という個人としてその制作に取り組んだのです。

 

確かにFacebookの職業の欄には博報堂と書いていました。でも、高木新平=博報堂の人間ではありません。僕の人生の中に、たまたま博報堂という会社で働く機会があっただけです。そこで収まりきらない部分も沢山あります。個がメディアとして情報をつなぎ合う時代に、大企業の「個を押さえつけるマネジメント」は不自由以外何者でもないと思ってしまったのです。

 

きっと、この時点で、僕は「サラリーマン」失格だったんだと思います。

 

いいコミュニケーションをつくりだして博報堂のバリューを高めたい、尊敬する先輩方の期待に応えたいとは思っていたけれど、会社のために自分の想いを全て抑えるなどという気持ちは微塵もなかったのですから。

 

最終的には、理解ある上司が間に入って調整してくださいましたが、僕の気持ちには大きな変化がありました。と同時に、関わる人々の気持ちの理解がちゃんとできていなかった3.11Memorialは、悩んだ挙げ句、当分何も手に付けないことにしたのです。

 

新規事業の提案棄却、3.11Memorial停止命令は、そして震災とともに世の中の価値観が大きく変化したことは、僕の考えを決定的なものにしました。

 

 

本当に、いまこそライフスタイル、もっと言えば生き方というものが揺らいでいる。

 

そのときに自分は何をしたいだろうか。

 

僕は、僕の素敵だと思えることをしたい。

 

 

「仕事」というものが人生で最もリソースを割いて、世の中に何かバリューを生み出そうとする活動であるならば、僕は高木新平としての「思想」を持ってそれを全うしたいです。

 

規模は問わないし、具体的なアクションとして何をやるかもさほど重要ではないです。ただ、この姿勢は大切にしたい。思想を共感し合える人と、自分自身リスクテイクしながら、誰かの「生き方」に携わることがしたい。責任もってやる以上は、気持ちが共有できない人を対象に何かやるというのはどこか違う。そんなことをなんとなくだけど、強く思いました。

 

こんなこと、大企業では通用しないでしょう。なぜならペイできないからです。だから僕はこれ以上居ても、ビジネス的にはネガティブな存在でしかないと思い、辞めようと思いました。個人的にいうと、会社としての目的と僕のモチベーションが乖離してしまったということです。

 

 

僕はワクワクしてないと、笑顔もできない不器用な人間なんです。

 

 

 

□アウトプットの前に、大事なこと。

 

 

それと時を少し重ねるカタチで、僕には素敵な出逢いがありました。

 

色々と一緒にやっていた田和から紹介され、いま一緒に仕事をしている宮下です。彼は外資メーカーに所属しながら、人材関係のビジネスをやっていました。最初は企画側でアイデアを出すくらいだったけど、自然とその頻度は高まりました。それは僕にとって、学びの連続だったからです。

 

何を学んだかと聞かれると、正直うまく答えるのは難しいです。それは表面的に言えるようなスキルとかではないから。なんか、もっと人間的で、本質的なこと。

 

彼はビジネスマンとしても非常に優秀ですが、本当に素晴らしいのは人との付き合い方。その人材ビジネスも、彼が関わった人たちに対して、本気で向き合い続けた結果、カタチになった産物です。本当は詳しく書き綴りたいけど、あまりに長くなってしまいそうなので、やめておきます。

 

とにかく、宮下は関わった人に対して「成長」をもたらすことに責任を感じていました。謎なくらいに、ひとり一人の未来にコミットしていました。なんかその姿勢が僕にとっては、少し忘れかけていた、とても大事なことのように思えたのです。

 

実際のところ、代理店に入ってからは、相手のことをちゃんと見つめたコミュニケーションを忘れかけていました。もちろん、クライアントやユーザーのことを考えるのは上手になったけれど、一緒につくる人たち(ここでは主に制作会社やフリーランサーの方々)のことは正直考えなくなっていた。思い切った言い方をするならば、つくるために必要な手足としてしか捉えていなかったのです。

 

なんとなく違和感は感じていました。

 

ウェブの制作会社の人たちの方がウェブだけに関して言えば、きっと想いもスキルもある。でも彼らがよりパフォーマンスできるようにすることなんて誰も考えていない。それが当たり前、制作会社の人たちももはや受け身で、そういう関係性がお金という魔法にごまかされたのか、ごく普通のこととして成立していました。

 

それってなんか違うよね?っていうモヤモヤに対して、宮下の言動は明確に答えているように思えた。いや今になって思えば、全ての答えじゃないことは分かっているけれど、僕が理想とするアウトプット環境である、「ひとり一人が持つクリエイティビティの掛け算」なるもののヒントがあることは事実だと思いましたし、それこそがコミュニケーションだと思いました。

 

それは、いま一緒に仕事をしている&「よるヒルズ」というシェアハウスに一緒に住んでいる村上から学んだことでもあります。目指すべきアウトプットをつくることなんかより、そこに関わる人がイキイキとやれていることのほうが重要だとサラッと教えてくれました。彼はひとり一人のモチベーションを大切にします。

 

僕は、昔から厳しいフィードバックは得意でしたし、歩むべき道はどちらかというような相談を後輩から受けることも沢山ありました。ただ、心の相談を受けたことはほとんどなかったのは、そういう配慮とも言えることが欠如していたからなんだと学びました。そして、それでは本当の信頼関係なんて作れないし、クリエイティブな活動なんてできやしないことに気づきました。

 

(クライアントの課題解決に貢献することは前提とすれば)ビジネス的な細かいことも、面倒な関わる人のメンタル部分のことも気にせずに、自分が思いついたものを手足となって作ってくれる環境が揃っていて、ドヤ顔できる代理店のクリエイティブ職は僕の天職だったと思います。もちろん、みんながみんなそういう意識ではないかもしれませんが、僕はそう捉えていました。

 

 

でも、生き方とかそういうもっと根本的なところを見つめるべき今、アウトプットの部分だけじゃなくて、関わる人の想いやそこにかける時間、大げさに言ってしまえばその人生にもちゃんとコミットしないと本質的なことなど生まれないと思いました。誰に?のところとも重なるけれど、僕自身もスケールすることより、その質をちゃんと追い求めることが幸せなのだと実感しました。

 

宮下や村上とも良く話をするけれど、ベンチャー企業や個でやっていることとかって、やることのデザインなんかより、人間関係のデザインにクソ時間とられるし、プライオリティが高いんです。それは個々の想いがダイレクトにぶつかり合うから。その分、なんか生きる力を手に入れている気がするし、経験としても、とても本質的なことを学んでいる気がする。

 

そんな風に、いまの時間を感じています。

 

 

 

□これからのこと。

 

 

整理もせずに書き始めたら、とてつもない文量になってしまったので、そろそろまとめとして、これからについて書きたいと思います。

 

改めてですが、今は「生き方」が生まれ変わる時代だと感じています。

 

メディアの発達も、震災における価値観の変化も、本質的な部分で「これから」をゼロから変えようとしている。その中で、僕は、自分が気持ちをシンクロさせる人とコミュニケーションしながら、「これから」の部分を丁寧に見つめていきたい。

 

 

具体的に言うと、

 

1つ目として、まだ全然思想を反映できていないけれど、宮下が代表をしているトライフを一緒にやりながら、「働く」の新しいカタチを見つけていきたい。上にも記したように、「働く」というのは、どう生きるかに近いと思います。意義も形態も大きく変わっていくに違いないでしょう。だから、それを追い求めて、ひとり一人がよりイキイキと活動できるようになったらいいなって思ってます。(現実的にはこれがダントツでリソース食っているのが現状で、ベンチャーをやるって大変だなと実感中です。。)

 

2つ目としては、田和たちとやっている、博報堂で失敗した「死」のサービスを世の中で機能させたい。自分の体験からも「死」ほど人生が集約されたエモーショナルな時間はないと思う。僕が考える、素敵な未来を追いかけて、丁寧にやっていきたいと思います。(3.11Memorialもどこかで使われ、価値の出せるものに変えていきたいと思っています)

 

そして3つ目としては、いま住んでいる六本木のシェアハウス「よるヒルズ」をはじめ、自分自身が実験台となって、新しい生き方を開発していけたらいいなって思っています。僕はお金に興味がないので、お金を稼ぐっていうよくわかんないことしなくても、幸せに生きていけるってことも証明していきたいです。生活することが思想にリンクするような、素敵なライフスタイルを目指していきたいです。だからトライフでも、基本的に給料とかもらってないわけで。

 

+αで、ありがたいことに色んな仕事的なお話をいただくので、思想に共感できたり、お世話になった人やものに関われることであれば受けるようにしています。元上司とのメディア開発や、学校のブランディング、ストリートブランドのプロモーションとかとか。最近リソースがなくなってきて、上の3つの柱に集中できなくなってきたので、一旦ストップかけましたが。

 

 

そんな感じで、幸せなことに、退屈を感じない愉快な日々を送っています。自分のやることに責任をもてる、思想ある働き方ができています。コミュニケーションの濃度が高まっています。そして、それが「ライフスタイルをデザインする」ってところまで、社会への価値還元になっていけばいいなって思っています。

 

 

僕は、本当にいい出逢いに恵まれました。デザインへの向き合い方を教えてくださった繊維研究会の先輩方、メンバー。博報堂時代の同期として、僕に色んな出逢いを作りだしてくれた田和。子供のような僕の思考を理解し、認めてくださった博報堂の尊敬できる先輩方。そして、人との付き合い方を本質的に教えてくれた宮下。いま最も感覚を共有し合い、互いにおもしろい生き方を追求している村上。もちろん文脈上、ここに挙げていないけど、大きなきっかけをくださった方は他にも沢山います。(一部実名を出したのは、僕が好きで尊敬できる身近な奴らだからこそ、みんなに知ってもらいたくて、です。)

 

だから僕も、僕の関わる人たち、想いを共にする人たちの人生に対して、少しでも価値を出せたらいいな。結局、それが人生における一番のアウトプットだと思うから。回り回って、結論はそんなところにたどり着くわけです。伝わったかな。

 

 

 

最近まわりから、太った、老けたと言われますが、まだ23歳。

 

いい感じに未来が予想できません。

 

 

これからも末永く、宜しくお願い致します。

 

 

 

 

※今回のエントリ、素直に書かないと思考の経過を伝えきれないと思ったので、臆せずに全てを書きました。コンプライアンスに触れるところまでは具体的に書いていないですが、博報堂の広報からすると、ネガティブな側面もあって、消したいと思うかもしれません。いや、でも僕は本質的に博報堂のことは好きです。広告という仕事も好きです。だから、いま中にいる人じゃこんなこと絶対言えないだろうから、僕が感じたことをちゃんと言っておきたいんです。社員の方々も、これから入社するかもしれない学生も、制作会社など関わる人々にも、何か感じられるものが少なからずあるだろうから。いつもクライアントに「クチコミ」は操作するものではなく、受け入れるものだって言っているのと本質的には同じです。だから、このニートの振り返りを理解して受け止めていただけると幸いです。

 

 

博報堂を辞めました。美味しいコンセプト

本当に大切なことは、applimが教えてくれた。 #applim

 

 

昨日、「applim+」という学生主導のアプリ×マーケティングコンテストの

決勝レセプションが、東京ビックサイトで行われた。

 

 

 

ご存知の方も多いと思うので、ここであえて説明などはしませんが、

学生にとっても、もしかすると広告・IT系の企業や社会人にとっても

1つの大きなイベントとして確立しています。たった1年で。

 

僕も前回に引き続き、2チーム+αのメンター、

また一次審査員として、関わらせていただきました。

 

 

その中で僕なりに、1つ大切な発見をしたので、共有したいと思います。

 

 

 

applimは、愛されています。

 

 

学生はもちろん、メンターからも、協賛企業からも、審査員からも、

なんでだろうって思うくらいに、愛されています。

 

いや、確かに、イベントの規模は大きいし、

そうそうたる企業も集まっているし、

アプリという分野も今イケイケのマーケットですよ。

 

でも、そういうコンテストは探せばどれだけでもあるし、

運営は相変わらずグダグダだしw、

「やられたっ!」ってアイデアも刺激も大してないです。正直に言うと。

 

でも、そんな僕も、applimを愛しています。

もう協力できることであれば、なんでもしたいってくらい。

 

 

なんでかって言うと、appimという集団は「コミュニケーション」というものを

丁寧に見つめ、とても大切に行っているからです。

 

applimは、普通の学生でも社会に挑戦できる場だとか、協賛もたくさんいるとか、

そういうのが目立っているけど、正直そういうことはどうでもいいんです。

むしろ個人的には、アプリなんかにも興味ない。

 

僕が素敵だなぁって思うのは、

もっと人間的なコミュニケーション。

 

 

例えば、昨日、会場の入り口で感謝の手紙をいただいた。

 

 

こんなのをいちいち100人もいるメンターにむけて手書きして、

たぶん500人の参加学生にも手書きして、ひとり一人に手渡ししている。

applim名刺だってそうだし、どんだけの労力かけてんねんって話ですよ。

 

 

それに、打ち上げでは、代表を号泣させるお疲れ様ムービーや

関係者からからスタッフへの感謝の言葉を流したり。

 

また、それに応えて代表の矢ノ目くんは、

本当に丁寧に言葉を選びながら、お礼を返したり。

去年と同様で、人情にまみれてたなぁ。

 

 

 

もうね、本当にいちいち人間的なんですよ。

でもそういうコミュニケーションって気持ちいいし、心に残るんですよね。

そして、それはきっと、信頼や絆、もっと抽象的に言うと、力に変わるんだと思う。

 

だから、みんなも集まってくる。

味方も敵も関係ない。もっと深いところで共鳴してるんです。

 

この感覚は、applimに関わったことがないと分からないかもしれないけど、

プロの広告マンが提案している、数字に囚われた安いコミュニケーションよりも

よっぽどインパクトがある。人生に刺さってる。

 

ほら。

 

 

これはほんと氷山の一角でしかない。

僕の周りでは、みんな口を揃えて言っている。

 

こんな感覚、大人たちは忘れているんじゃないかな。

 

僕は、applimという場やメンバーこそが、

これまでのapplimコンテストの、どの企画よりも尊敬すべき、

学生にしかできない発明だと思った。

 

そして、実際は偉くもないのに、制作会社を駒のように扱い、

殿様商売をしている広告代理店のみなさんにこそ、見習ってほしいと思った。

(一応、自戒も込めてます)

 

 

 

 

「コミュニケーションとは、人の気持ちを大切にすること」

 

であると、改めて体験し、改めて学びました。

 

 

ありがとう、applim

 

 

 

追記:

applimを初代代表の久野くんとともに立ち上げた木下さんがこのblogを取り上げながら、

これまたアツい文面を書き綴っていますので、紹介しておきたいと思います。

「新しいものを作る人を増やす。そんな世界を作っていきたい。#applim」

 

そして、その中で紹介されているapplim立ち上げ当時の記録。

なんて言っていいかわからないけど、最高です。

 

 

 

本当に大切なことは、applimが教えてくれた。 #applim美味しいコンセプト