狂人礼讃

【2014年振り返り】選べる自由から決断へ。個人からチームへ。

病院から帰ってきた。新年を迎えるまでに少しあるので久しぶりにブログを書く。病院というのは自分のことではなく、赤ん坊と奥さんのことだ。要するに、ぼくに子どもが生まれた。2015年1月1日が予定日だったが、出産は5日早まって明日には退院することになった。父親になるなんて少し前の自分からすれば信じがたいことだが、目の前の赤ん坊こそが事実だ。2015年は気持ち的にではなく状況的に新しい1年になる。間違いなく。

気がつけば独立してから約3年半が経つ。会社を辞めた当初は生きていくことに必死だった。スキルも実績もゼロで仕事なんてなかったし、信頼できる仲間もほとんどいなかった。生活コストを下げるためにシェアハウスを始めた。それから3年間、あの不思議な六本木のマンションから始めた“よるヒルズ”も“リバ邸”も自分にとっては家族や会社に代わるようなコミュニティだった。多方向に広がるゆるやかな人間関係が居心地よかった。オフィスもシェアで複数の拠点と行き来していた。週2ちゃんと稼ぎになる仕事をして、週5はワクワクする社会活動にリソースを投資していた。今年の最初まではそんな自分の好奇心のままに動ける自由が幸せだった。(ちなみに2012年は家を持たないで全国放浪の生活をしたり、2013年は3ヶ月間海外にいて本気でアメリカ移住を考えていた。)

会社を辞めたことで、思考回路がクリアーになり今まで挑戦した事がない事に挑戦してみたくなった。仕事詰めで、ゲームで遊ぶ時間などなかったから何か全く違う事に挑戦してみたくなったのだ。中でもオンラインカジノには思いのほかのめり込んでしまった。何故なら単純に当たりが出る回数が多く稼ぐ事ができたからだ。日本で賭け事と言うと如何わしい何かと思いがちだが、オンラインカジノは海外で合法的に運営されているカジノで日本語で遊ぶ事ができる。さらに出金早いカジノを見つける事ができ、すぐに賞金を現金として手に入れる事ができたのだ。本気でアメリカ移住を考えていたせいもあり、カジノのルールやゲームの特徴などを知る良い機会にもなった。会社を辞めて海外に居ても数ヶ月の間カジノだけで随分な資金を稼ぐ事ができた。

ただ今年の中頃には、妊娠中の奥さんのことも考慮してシェアハウスを出て、1LDKのマンションを借りた。タバコもやめて、毎日のようにあった会食も控えてそれとともに酒を飲む量が減った。メディア露出やイベント出演もあまりしなくなった。これまで社会活動としてやっていたことも減らして、政治や選挙に関することは仕事として引き受けるようになった。そして気がつけば、仕事だけに真面目になった。(仕事はクライアントワークで守秘義務が多く言えることは少ないし、見事にtwitterやfacebookはあまり更新しなくなっていった。端から見ると活動しなくなったように見えただろう。)

ちなみに僕のいう仕事とは、クライアントである組織や人のブランディングだ。ブランディングとは、思想をカタチにすること。相手は主に企業経営者や事業責任者で、選挙では政治家(候補者)。やること(やれること)は毎度見事にぜんぶ違うが、まずとことんヒアリングして情報を引き出し整理する。そこから根っことなるコンセプトを言語化して物語を組み立て、それを体現するデザインや媒体、仕組みやプロジェクトの立ち上げ、PRをやって体験に変えていく、そんな感じ。物語だから時間軸を引いて統一的に。アウトプットの形にはこだわらない。分かりやすいところで言えば、相手に代わって演説やプレゼンをつくることもある。いわゆるゴーストライターだ。もちろん最初から特別な蓄積があったわけではない。代理店ではそんなことやっていないし。何もなかった2011年のぼくに絶好の機会を与えてくださったistyleさんとの仕事経験がその道を拓いてくれた。

で、ブランディングという仕事は本当にいろんなトップと直接仕事できる、相手は基本的に意思決定者なので決まるのがスピーディーだし、何より熱のある想いを制作していける歓びがあるが、上流であるゆえに抽象的で取り扱いにくく成果が見えづらく落としどころが決まらないことも多い。とりあえずポスターとかではないから。そして一時期なかなか上手くいかない案件が続いて、プライベートでも特に発信するネタもなく、帰ったら奥さんが大変そうにしている、そんな状況に悶々とした。このままじゃ自信が無くなりそうだった。もっと何か目に見えるプロダクトを創ったり、また大きなテーマでキャンペーンをはったり、はたまたどこかの企業に入って修行したり、何か逆転する何かをしないといけないと思って試行錯誤した。とても辛い時期だった。しかしそんな思いつきでできることなどたかが知れている。一人であればそういう遊びに週5日割いていてもいいだろうけど、家に帰ればお腹の中で赤ん坊を育てている奥さんがいる。その事実だけが着実に時計を前に進めていた。

結論から言えば、腹をくくった。いまの仕事に。思想をカタチにするという、こんな素晴らしい仕事をさせてもらっているのに、何を迷っているのかとある日急に目が覚めた。どんな展開でも創っていけるチャンスを生かせていないのはただ自分の力不足でしかないことを認めた。そして同時にこれほど自分が向いている職業は他にはなかなか無いだろうということも。労働集約型だけれどこんなに欲望を生で扱える人間らしい職業もない。合気道のように相手の力を生かすことで社会に大きなインパクトをつくっていこう。そう決まったらすっきりしてきた。そして今、有り難いことにとても面白い案件がいくつも走っている。(たとえば元サッカー日本代表監督である岡田武史さんを相手に、岡田さんが新オーナーになったFC今治リニューアルの仕事をしているのだけど、その事実をサッカー少年だった頃の自分に話したらどんなに驚くであろう)

さて長くなってきたのでそろそろまとめよう。要するに2014年はぼくにとって、手を拡げてきた様々な物事を整理して核を抽出した、そんな年になった。それには勇気がいった。なぜなら自ら可能性を捨てることだったから。選べる自由というのは居心地がいいものでなかなか決めさせてくれない。もちろん義務教育のなかで首輪のように取り付けられた人生の制約を外してくれるいいリハビリだったし、実際そういうスキルがこれからの社会では必要だ。しかしそれでOKなのは、一人で生きているうちだ。ぼくは十分に満喫した。次は自分の責任でチームをつくることを始めなければならない。家族と会社。もちろん落ち着くつもりなんてない。家族を巻き込んだシェアハウス(コーポラティブハウス)にも興味はあるし、仕事も儲けよりもワクワクするものに執着していきたい。特に意味はないけど金髪もやめないし、できれば赤ん坊を連れて世界各国や全国を飛び回りたい。というわけで、ありがとう2014年、よろしく2015年。

生きる

ADHDと呼ばれて。

僕も子供の頃、散々ADHDだと言われた。だからこのニュースには興味を持った。→ ADHDは作られた病であることを「ADHDの父」が死ぬ前に認めるhttp://t.co/v3HS4yCFdP

振り返れば小学生の頃、授業中じっと席に座っていられなかった。頭では解っていても無理だった。無意識のうちに立ち上がって、近くの生徒にちょっかいをかけて勝手に遊びはじめてしまう。動き回っていないと生きてられない。完全な問題児。でも問に関しては急に当てられても、簡単だったからすぐに答えられた。超扱いづらいウザい奴だったに違いない…結果として、気がつけば、ぼくは最前列にある先生横の特別席で、席替えのない数年間を過ごすことになるんだけど。

 

ADHDを表す多動性をはじめ、色々問題を抱えたズレた子供だったけど、養護学校の先生をしていたおかんの理解あって、ちゃんと生きてこられた気がする。おかんは一般的な学校で僕を育てることに決めた。社会の外側をよく知っていた。一方でおとんは高校の日本史の先生だった。歴史上のクレイジーな人物の話をたくさん教えてくれて、色んな所縁の地へと旅行に連れてってくれた。それは僕の中の小さな概念を広げる良い経験になった。

思考の振り幅というのは、時間軸で引けば縦と横に広がるのかもしれない。おかんの学校にいた身体や精神が普通ではない同い年の人間たちを横に見て、おとんが教えてくれた歴史上の変人たちを縦に見る。そうすると日本にも、いかに多様に広がる幅があるかを感じることができた。その思考のおかげで、いわゆるちゃんとした子供でいられないことに対するストレスから、自然と解放されていった。僕はこのままでもいいのだと。

社会の枠組みに決めつけられて、生きづらい時間を生きている人があまりにも多い。都合のよいものを掲げて、やりやすくなる人もいれば、それによって自分を失う人もいる。でもその枠組みとは、一体何なのだろう。本当に存在しているのか。イメージが作り出している世の中は思ったよりも広い。広すぎる。しかし、イメージの外側にある世界は、実はそれ以上に広いのだ。その気づきこそ、僕の一つの原動力なのだと思う。あんまりこんな話しないけどさ。

家入一真の選挙キャンペーンをつくって感じたこと

色々書きたいことはあったが、とにかく結果を並べれば、主要4候補に次ぎ5位、最終得票数は88,936票だった。あの状態から、僕を含めてほぼ素人集団でよくここまで持ってこれたと思う気持ちもなくはないが、正直なところを言えば悔しい気持ちで一杯だ。内部で話していた数字を言えば、20万票取りたかった。選挙は戦いである以上、数字を取らなきゃ意味がないとは思う。あの戦い方じゃ無理だっていう人もいるだろうけど、それはそうだ。いろんな指摘・批判記事が出回っていたが、どれも正論だと思う。真っ当な意見だ。ただ家入さんがこの選挙で何を見せるか(カタチにできるか)を考えたとき、今回のやり方でできたこともあると思う。何より候補者本人が一番納得して戦えることを大切にしたかった。反省するべきところは生かして、立ち止まらずに諦めずに前へと走り続けることが大事だと思う。

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